天沼教会の歴史


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1917年献堂          
1959年移設、増築
      1983年献堂

 

18961119日 (明治29年)

アメリカからウィリアム・C・グレンジャーと大河平輝彦が日本宣教のために横浜に到着。

数日後、東京の麻布区本村町に借家し、「英語聖書研究会」を立ち上げ宣教を開始。

 

189811日(明治31年)

「英語聖書研究会」を芝区芝公園五号地に移転し、「芝和英聖書学校」を開設。

 

1899430日(明治32年)

東京郊外の目黒川で、日本のセブンスデー・アドベンチスト最初のバプテスマが4人の求道者に授けられた。

 

189961日(明治32年)

13名によって、最初の教会が組織された。名称は「東京教会」であったとされている。

また、出版事業を行う「末世之福音社」が同じ敷地内に設立された。

 

19036月(明治36年

「未世之福音社」が、千駄ヶ谷村へ移転。

 

19071月(明治40年)

「第七日安息日基督再臨教会」名称採択

 

1914728日(大正3年)

第一次世界大戦開戦。

 

191411月(大正3年)

現在の天沼教会と東京衛生病院の敷地であり、当時の東京府豊多摩郡杉並村字天沼1713320坪の土地を購入。

 

19153月日(大正4年)

天沼に伝道本部、未世之福音社、伝道学校校舎と寄宿舎、宣教師館を建築し、

千駄ヶ谷から移転。この時まで定まっていなかった伝道本部の所在地が確定。

それまで東京教会と呼ばれていたものは、本部教会(荻窪教会と称された)と東京教会に分離された。

新宿に新設された教会を東京教会とした。

 

1916年(大正5年)

天沼教会員数30余名。

 

1917126日(大正6年)

天沼教会堂の献堂式。

 

19181111日(大正7年)

第一次世界大戦終結。

 

19191月(大正8年)

天沼教会員数が約40名に。この頃には、本部教会は天沼教会と称されていた。

 

1919101日(大正8年)

天沼構内に天沼学院が開校。

 

192391日(大正12年)

関東大震災

 

19246月(大正13年)

杉並村が杉並町に。

 

19265月(大正15年)

天沼学院男子部を千葉県君津郡に「日本三育学院」として移転。

天沼の女子部は「日本三育女学院」へ改名。

 

192951日(昭和4年)

東京衛生病院開院

 

1929年(昭和4年)

世界恐慌

 

1931918日(昭和6年)

満州事変

 

1941128日(昭和16年)

太平洋戦争開戦。

 

1943920日(昭和18年)

大日本帝国官憲により、セブンスデー・アドベンチスト教団は全業務停止とされる。

 

1945年春(昭和20年)

東京衛生病院が日本医療団に強制移譲され、教団の全財産は売却され整理された。

事実上、日本のセブンスデー・アドベンチスト教会組織は消滅した。

 

1945815日(昭和20年)

日本敗戦。太平洋戦争終結。

 

1945929日(昭和20年)

天沼にて安息日学校再開。

 

194511月(昭和20年)

東京天沼の元教団本部で、教会業務再開のための協議会を開催

 

1947614日(昭和22年)

信徒数300名によって天沼教会再組織。

 

194771日(昭和22年)

天沼を始め教会の全財産が返還される。

 

19471123日(昭和22年)

東京衛生病院再開。

 

194945日(昭和24年)

天沼構内に東京地区三育小学校開校。

 

19503月(昭和25年)

東京衛生病院増築。これに伴い、同敷地内で天沼教会を移転し大改装。

 

195011月(昭和25年)

天沼構内の「東亜福音社」を「福音社」とし横浜へ移転。

 

196733日(昭和42年)

天沼教会員数608名に。

 

197951日(昭和54年)

東京衛生病院50周年。

 

1980年11月(昭和55年)

東京衛生病院の本館が落成。

 

19837月(昭和58年)

新天沼教会堂の献堂。

   

19871115日(昭和62年)

東京衛生病院の新館が開業。

 

1996217日(平成8年

セブンスデー・アドベンチスト教会宣教100周年

 

20121月1日(平成24年)現在

天沼教会の教会員数909人。

構内に東京衛生病院、付属教会通りクリニック、三育学院大学東京校舎を併設。